あたかも読書家のように
近所の本屋さんは、個人が営む小さな店舗だ。
駅構内によくありがちな6畳程度のスペース。お客が6〜7人もいれば満員と言えるだろう。
個人が経営しているため、品揃えは店主の趣味が色濃く反映されており、希少な書物や偏執的な商品が並ぶ…事はなく、確かな売れ筋商品と新書、普遍的名作のみが並ぶ。
欲しい本がある時は、そのお店を覗きにいく。
正直、お目当ての商品を見つけられた事は数えるほどしかない。それなのになぜ行くのだろうか。
思い入れやこだわりがあるわけでもない。
今回こそは!と宝くじの当選番号を見るような気持ちなのだと思う(つまりはほとんど諦めの感情を携えて足を運ぶのである)。
今日も3冊ほどお目当ての本があったのだが、どれひとつとして陳列されていなかった(代わりに某宗教のありがたいお言葉をまとめた本は全巻置いてあった)。
商品棚に目を通す際、目が滑ることに気づく。
思えばこの1年間、度のあっていないメガネをつけて過ごしている。なぜかと問われれば、買い換えがただただ面倒だからだ。
コロナというサボりの口実にはもってこいの悪友が馴れ馴れしく肩を組んでくるものだから、ついついこいつに流されてしまっていた。
帰宅。積読している本が多数あることに気付く。
なんだ、新しい本を買うにはまだ早かったか。
品揃えの悪い個人経営店にある種救われた。
明日は特に予定がないので、メガネを買い替えピントのあった両眼で積読の消化に励むこととする。